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笹幸恵
2016.12.23 13:45

一般参賀に行ってきました

本日の天皇陛下のお誕生日、

一般参賀に行ってまいりました。

すごい混雑だと思ったので、セキュリティチェックを

素早く抜けるために手ぶらで出かけたのですが、

手荷物があってもなくても待たずにクリア。

少しも混んでいませんでした。

警備体制が改善されていたのでしょうか。

 

数名の仲間と連れ立って行ったのですが、

一人は一般参賀が初めてと言っていました。

「街宣車とかずらっと並んでいる印象で怖い」

というのが、今まで行かなかった理由だとか。

まだまだそういうイメージがあるんだなあ。

 

で、陛下がお見えになってお言葉を聞いて、

万歳三唱して帰るとき、「どうでした?」と

聞いたら「もーーー感動して胸がいっぱい!」

言っていました。

むふふ。

わかります、その気持ち。

 

帰宅後、高森先生が出演されていた

BS11「報道ライブ」の録画を拝見。

陛下の多忙さと思いのこもったご公務のありようが、

高森先生の「静かな熱弁」を通して伝わってきました。

生前退位についての話題が、最後に少しだけだったのが心残り。

(あ、ちょっと!

生前退位の話をもっとじっくり!

ここから本番!

って、もう終わりかーーいッ)

 

延長してほしかった。

 

そして倉持先生が紹介されていた神奈川新聞の記事を拝読。

倉持先生、高森先生のほかにもう一人、

識者として登場されていた山崎雅弘さんという方は

国民にはっきりと「主権者としての自覚」を突き付けていて、

気迫が伝わってまいりました。

ハッとしたのは、下記の箇所。

「今上天皇の意向とは異なる特別立法による解決を許せば、

天皇の権威を政府が後ろ盾として付けることになりかねない。

それはまさに戦前に起きたことであり、戦前・戦中の政府は

そうしてさまざまな異論を封殺してきた歴史がある」


つまりは時の権力によって、天皇の権威が恣意的に利用される

ということ。 


政府が天皇の名の下に国民に異論を許さないこともあれば、
軍部が統帥権をたてに政府を黙らせることもあった。
彼らは気持ちの上では承詔必謹だったかもしれないが、
結果、その天皇すらも欺くようになっていった。
天皇の権威は、強化されながら形骸化していったと
言えるかもしれません。
 

その前例を、私たちは戦後もまた無自覚なままに作り出そうとしている。

いい加減、「お上にお任せ体質」から自覚的に抜け出さないと、

私たちはいつまでたっても、何かあると「だまされた」と

嘆くだけの浅薄な大衆になり果てる。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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